今、寝る前にチョコッとづつ読んでる本があるんですが、
この本の中の一節にココロ奪われた〜!
誰しもそうだと思うんですが、
やぱ「自分のここキライ」とか「こういうとこ変えたい」とかって、
大なり小なりあると思うんですよ。
ボクなんかは、もちろんありまくりで、
ポーカーみたいに「5枚全部チェンジで」ってカンジで取っ換えてしまいたい!
と思うことすらあるんですが。
しかしその本曰く、
”変えたい”と拒否すれば、それはアナタの手から離れ、
アナタを支配し続けるだろう、と。
”変えたい”のならば、まずそれを受け入れよ。
受け入れ、認めれば、それは自分のものとなり、
コントロールすることができるぞ、と。
つまるところ、
「持っていないモノは捨てれない。捨てたければ、まず持てや」
っていうことなんだ、と。
なるほどなぁ〜。。。
これはもう、宇宙の法則なんでしょうねー。
「作用・反作用の法則」みたいなもんで。
はねつけようと、力をこめれば、
間違いなくはね返ってくるんでしょう。
「否定」ではなく、まず「容認」ありき。
容認して、その正体を見極めろと。
「目をそらすな」っていうことなんだなぁ〜、と。
これ、スゴイエネルギー必要なことやもんね。
自分の見たくない姿を、見つめるのって、やっぱ避けてるもんなぁ〜。
どっか意識の奥底で。
全くのイメージなんですが、
自分を変える、っていうのは、
どこか「似顔絵」を描くこととカブるんですよねー。
ボクが似顔絵を描く時は、
まず、その人の顔を頭の中でデフォルメして、想像の中で描いてみる。
で、頭ん中でウマク描ければ、
今度は手でそれをなぞっていくだけなんで。
だから、頭で描けるかどうかで、
その人の似顔絵が描けるか、描けないかが既に決まってて。
だから、絵を描く「技術」って事で言うと、
「手」はほとんど関係ないかなー、とか思うんですよね。ちょっと。
芸術性なんかは、全然別のハナシですが。
そうそう。で、自分を変える、っていうのも実は同じで、
頭ん中で「理想の自分のとるべき行動」が描けるなら、
それを全身でなぞればいい。って気がするんですよ。
あとは、覚悟の問題で。
で、肝心なのは、目をそらさずに自分を見つめ直して、
頭ん中で「理想の行動」を描けるかどうかなんじゃないかなぁ、と。
まあ、で、それがお前はできてんのか?
って聞かれたら、聞こえないフリしますけどね。w
その前に似顔絵なんて滅多に描かないし(笑)。
でも、自分に対しても、他人に対しても、
まず「容認ありき」これはスゴク大事なんじゃないかなぁ、と。
とりあえず、「他人の行動を容認できない自分を容認する」という
い〜っちばんハジッコから始めてみよう、っと。w
