ある程度劫を経て、また読書を重ねて行くことで、たくさんの知識を得ていきます。
その知識は目の前に展開される現実を理解するのに大変役に立ってくれます。
知識は現実を理解するのを助けてくれる道具とも言えますから、たくさんあることには越したことがありません。
小生もいろいろと本を読んだり、人の話を聞いたりして、知識を蓄えてきました(見る人から見れば、ほんの僅かでありますが)。
ですが、ここ最近、人と接する際に、必ずしも誰にでも当てはまるわけではない知識を通して、その人を見ていることに気がついたのです。
この時にこういう振る舞いをする人は、○○な人と書いてあったので、なるほど、この人は○○な人なんだと、まあ、勝手に決め付けていたのです。。。
自分が持っているそうした知識を絶対視し過ぎて、相手の話す言葉や振る舞いの意味を、すべて自分の知っている知識の枠の中で理解しようとしていました。
つまり、その人の存在をありのままに見ていたわけではなく、先入観で出来上がったその人(わたしの中にある虚像)を見ていたわけなのです。。。
同じ知識であるのに、現実の理解を手助けできる道具から、現実を捻じ曲げる障害物になるのですね。
あくまでも知識は参考として利用し、自分の知識を絶対化しないこと、つまり「自分にはわかっていないことがある」ことを常に意識しておくことが肝要だと思うのであります!
自分は相手のことをよく知らないとまず知ることが、コミュニケーションの原動力なのです。












