とある午後の昼下がり、自転車で街中を走っていると、
東京では珍しく、心地よい風が自分の体の横を吹き抜けていく。
丘を走る自分の視界からは、遠くに新宿の高層ビル群が見える。
こんなときいつも考える。
高層ビルが立ち並ぶほど現代文明が発達しようが、死が身近なのは、昔も今も変わらない。
誰も、明日自分が生きながらえるとは言えないのだ。
裸で生まれてきた人間は、結局は裸で死んでいく存在なのだと、思い起こされる。
何十億の現金や大きな家、キレイでカワイイ彼女、そして強健だった自分の体も、やがて死ぬとき全部、この世においていかなければならない。
この世で身につけた経験や能力といった、目に見えないものも置いていくことになるだろう。
そう、今、自分のものだと言っているものは、すべて置いていくしかないのだ。
となると、自分のものだと思っているものは、結局この世からの借り物に過ぎないと思う。
自分が死ぬとき、それらのレンタル期間は終わるのだ。
お返ししなければならない以上、自分勝手な使い方は許されないと思う。
借りたものが負う責任があるのだ。
自分に貸し与えられている、お金や才能と言ったものは、有効な使いかたをしてこそ、責任を全うできると思う。
では、有効な使いかたとはなんぞや。
いろいろあると思うが、ひとつは「他の人を喜ばすこと」であると確信しています。








