先日、不思議な夢を見ました。
年老いて、長寿を全うする小生の最後を、娘が看取り、その小生の目を閉じるところを、小生が横から眺めている・・という夢でした。
今月には待望の我が子が生まれてくるのですが、男の子か女の子かは生まれてきてからのお楽しみにしておりまして、実際のところ性別はまだ分からないのです。
ですが、これまで数回夢に出てきた我が子はいつも「娘」ですし、奥さんの夢に出てくるのも「娘」でしたので、ひょっとすると生まれてくるのは、女の子かもしれません。
(父親として、溺愛するでしょうね)
さて、夢の話に戻りますと、先日見た夢は実に縁起のよろしい夢ではないかと思っております。
そのように言えるにはいくつか理由がありまして、ひとつ目は長寿を全うして死を迎えること。
昨今の、環境の悪化、天変地異や社会情勢の激変を考えると、自分に与えられた寿命をまっとうするのは容易ではなくなってきていると思います。人間の生物学的な寿命は、125歳ぐらいと言われていますが、おそらくほとんどの人は寿命をまっとうする前に亡くなっています。人間はいつか必ず死ぬ存在ですが、同時にいつ死ぬかわからない儚い存在であることに気づかされます。
ふたつ目は親である小生が、我が子より先に死ぬこと。めでたいことを書いてくださいと頼まれた一休禅師は「親死に 子死に 孫死に」という言葉を遺したといわれています。今月我が子が生まれる我が身を考えましても、親より先に子供が死んだり、孫が死ぬことほど、悲しくて辛いことはないと思うのです。前述しています自分を取り巻く環境を考えますと、先に生まれた者が先に死ぬということは、当たり前のように見えて当たり前ではない、有り難い(発生確率が小さい)ことなのだと思うのです。
みっつ目は、家族や友人に人生の最後を看取られること。一人暮らしの人が死後発見される事例が増えていることを、テレビや新聞が連日のように報じております。その人だけの人生を歩み、家族や仕事もあったはずのことを思うと、一人で人生の旅路を踏み出すことに、どうもやるせない気分が湧いてきます。確かに、人間は最終的には自分一人で死に向き合わなければなりません。そのような存在だからこそ、家族や友人と満ち足りた時間を過ごしながら、人生の最後を迎えることができるのは、自分にとっても残された家族にとっても重要なことだと思うのです。
小生は夢を通して、日頃あまり意識することがない死について考えるきっかけになりました。人間誰しも必ず迎える死を、自分はどのように迎えたいのか、事前に考えておくことは重要だと思うのです。
また家族とお互いの「死に方」について考え、話し合うことは、今を生きる上でも重要なことだと思うのです。出産を控え、今里帰り中の奥さんと今度話し合ってみようと思っています。















